「挫折経験はありますか?」
就活を初め、色んな場面でよく耳にするお馴染みのこのワード。
デジタル大辞泉では、「仕事や計画などが、中途で失敗しだめになること。また、そのために意欲・気力をなくすこと。」と定義されているようだ。
なので挫折の条件は
- 目的や目標に向かって行動あるいは努力した結果
- 何かしらの要因で失敗し
- それにより心がくじけてしまう
であり、
この3つの条件に該当すれば、それは挫折と言うことができるし、
その過程と結果を挫折経験と呼べるだろう。
今回、私が自分の挫折経験について書こうと思い立ったのには理由がある。
それは今後、「挫折経験」が世の中に増えていく思うから。つまり、挫折を経験する人が今より多く現れると予測している。
情報は貨幣と同等の価値があると言われており、それが社会の前提であるのは、なんとなくイメージできると思うし、ある程度周知の事実だと言えるだろう。
みんな薄々気が付いていると思うが、質と鮮度の高い情報をいち早く手に入れる人は、富を増やす。
反対に情報に価値を感じないあるいは情報に疎い人は、富を増やせない。
このことから、情報格差は貧富の格差であり、情報量は今後爆発的に増えていくので、格差を広がっていくのだろう。あくまで予測ではあるが。
そうなるとどうなるか
- 情報格差により生まれながらに経済的な理由から機会を失う人が増える
- 情報を抽象的に扱えないあるいは思考できない人は、働くための難易度がさらに上がる
こういった社会になるのかなと考えている、今のところ。
なので、複雑化した社会では、今後さらに挫折を経験する機会が増えると思う。
自分も含まれるかもしれないし、どうなるかは分からない。
きっと今はその転換期にいる。だからこそ、自分の挫折経験から何を学び、どう乗り越えたのかを書き残してみようと思う。(そっくりそのまま挫折を乗り越えるためのポイントになる。)
結果として、読んでくれる人の役に立てれば幸い。
挫折経験は5つ程あるが、その中から2つをピックアップしてお伝えしたい。
その体験から挫折を乗り越えるためには、5つのポイントがある学んだ。
- 自分より少しレベルの高い環境に身を置く
- 友人や周りの言葉に耳を傾ける(ただし聞き分ける)
- 観察と分析のクセをつける
- 痛みは事実だが、苦しみはオプショナル
- 変化は損失ではなく、利益となる
このポイントさえ認識できれば、挫折を乗越えることが可能だ。
どういうことなのか、実体験を含めて、具体的に解説しようと思う。
中学生でクビ宣告
私の人生初めての挫折経験は、割と早い段階でやってきた。
それは中学生の時で、しかも、結構強烈な体験だった。
中学時代、私はあるスポーツの分野で国内有数のチームに所属していた。
プロを目指すなら誰もが入りたがるし、私もその一人で、それなりに努力して何とか入ることができた。
でも、待ち受けていたのは厳しい世界。
どのくらい厳しいかというと、
これくらい厳しい。
チームメイトの内、オファー組が8割、選抜試験組が2割で私は試験組だった。当然、オファー組は才能を既に開花させているので、試合に出られない日が続いた。
今でも鮮明に覚えているけれど、練習終わりの涼しい夜のこと。
練習が終わるとコーチに呼び出され、怒りながらとかではなく、真剣に言われた。
「デカチワに合うチームがあるから紹介するぞ」
この言葉が何を意味するのかは、すぐに理解できた。事実上のクビ宣告である。
考えてくれと言われたので、考えてみると返した。
そこから、頭の中が非常にもやもやしたまま帰途についた。電車の中でもずっと考えていた
あまりにショックが大きかったので、そこから2週間くらいは、練習にも身が入らず負のスパイラルに落ちている感覚だった。
そのスポーツをはじめたのは、楽しいからであって、何でこんな苦しい思いをしなければならないのだと思ったし、もう辞めようかなと何度も頭をよぎった。
後は、いつ辞めると切出そうかと考えている時、それを察してなのか
チームメイトの1人が近づいてきてこう言った。
「デカチワは遅咲きの桜だから大丈夫だよ、プレーに波があるからそこをなんとかすれば良い」
そこでハッと気づいたのは、自分では自身を完全否定していたけど、人によっては期待もしてくれていてよく見てくれていることだ。
これがきっかけで、まだやれるかもしれないと思えただけでなく、自分の欠点と長所を把握できた。
それからは、自分の欠点を抑えつつ長所を生かすには、どうすれば良いか徹底的に考えるようになった。
試合はある意味で実験のような感覚だった。
自分のパフォーマンスを分析して課題を炙り出し、それに対して対策を練る。
効果がなければ、また別の方法を考える。そんなクセがついた。
最終的に、結果として試合に出れるようになっただけでなく、最後まで生き残ることができた。
この経験は、小さな成功体験となり、今でも何かに取組む際の基本スタイルとなっている。自分の軸みたいなものだ。
このような経験から
- 自分より少しレベルの高い環境に身を置く
- 友人や周りの言葉に耳を傾ける(ただし聞き分ける)
- 観察と分析のクセをつける
上記の3つが重要だと学んだ。
自分より少しレベルの高い環境に身を置く
そもそも挫折というのは、自分の能力よりも高いレベルの環境でしか発生しない。もちろん経済的な挫折を除いてだが。
自分の能力と身を置く環境にGAPがあれば、挫折はあちらからやってくる。
そして挫折経験は幾分か人を精神的に成長させるように思う。打ち出しの皿のように味がでてくる。
挫折を経験したことが無いという人もいるが、個人的にそれは「自分の能力と同等かそれ以下のレベルの環境で過ごしている」か「苦しいと感じない」のどちらかだと思う。
「苦しいと感じない」人については、後ほど解説する。
何かしら自分を成長させたいと考えている人は、自分より少しレベルの高い環境に身を置くのが良いと思う。
友人や周りの言葉に耳を傾ける(ただし聞き分ける)
また友人や周りの言葉に耳を傾けることも重要だ。
挫折を味わうとだいたいの人は私と同じように気力がなくなったり、場合によってはイライラしてしまうのが常だと思う。
だがやはり周りの人はあなたをよく見ている。
自分が良いと感じて取り組んでいることに対して、ただ非難したり文句を言ってくる人の話しは聞かなくて良い。スルーしてしまえば良い。
けれど、それ以外の言葉には、一度は耳を傾けた方が良いと思う。
その内容を頭に入れて、時間をかけて自分なりに解釈する、そして良いと思うなら取り入れる。
私の場合、人生初の挫折を乗越えるきっかけは、チームメイトの言葉だった。
遅咲きの桜という言葉は、読んで字のごとく、心に大きな根を張り、今も成長している。言葉は不思議だとつくづく思う。
観察と分析のクセをつける
物事には順序があり、挫折を乗り越える方法も例外でない。
挫折を乗り越えるためには、まず挫折と向き合うことが必要だ。
そのためにはできるだけ冷静になる必要がある。自身の置かれている状況、感情、直観、言葉、しぐさなど、情報を1つ1つ箸やピンセットでつまんで並べていく感覚。
その情報からどんなことが言えるか、仮説や結論を出していく、これが分析。よくノートに書いてまとめていた。
効果がないなら、その結果をまた観察して分析するという繰り返し。時間はかかることもあるが、答えに辿りつく可能性はぐんと上がる。
これは私にとって、ある種の瞑想のようなものかもしれない。
観察と分析の作業を通して集中し挫折に向き合うことができる。
本質は同じかもしれない。ぜひ試してみてほしい。
先が見えてしまい気力をなくす
もう1つの挫折経験は、前述の挫折経験とは性質が異なる。
時は流れて社会人になってからの話だ。
私はSEとして働き、後にシステム監査人へ転職した。
SEとして働いていた会社は、典型的な日本企業で歴史もそれなりにある会社だった。
入社が決まった時は、周りはそれなりに喜んでくれたの覚えている。
もちろん、私も最初は嬉しく思っていた。
そこで数年間、SEとして働く中で、自分の行く先があまりに鮮明に見えてしまったため、気力を無くしてしまうことがあった。
これが2つ目の挫折である。
中学生でクビ宣告という体験と比較すると衝撃は少ないものの、ぐつぐつと中火で煮られている感覚が表現として合っていると思う。
なぜこのように感じたかというと、以下のような環境で働いていたからだ。
- 年功序列
- 意欲ない人をクビにできない環境
- 意欲ある失敗が許されない環境
こういった特徴を持った企業では、働くメリットがほぼないと思う。
世界の変化のスピードが速いからである。
変化に対応するためには、質だけでなくスピード勝負になるので、トライ&エラーで反証を高速で繰り返す必要がでてきている。
だが、年功序列で若い時に安い給料ではモチベーションが下がるし、意欲ない人をクビにできないと高い固定費がかかり続けて、若い世代に投資できない。
その上で意欲のある失敗が許されないのであれば、誰も挑戦しようとしないから、ゆえに現状から変化できないというジレンマがある。
また、年功序列やクビにできないという構造は、上にへつらいながらミスを誰かに押し付けるというレールを敷いていて、ほとんどの人がそのレールの上を走っている。誰も得しないし、おまけに企業の大半は原理的には寿命を迎えている。安定などただの幻想。
で企業としての変化がないので、ロールモデルの幅も狭い。
そうなると、おのずとその企業における自分の行く末が見えてきてしまう。
レールに乗りかけている自分の行く先が見えながらも、今いち動き出せない自分に漠然とした不安を感じていた。
それがSE3年目くらいの時で、そこから仕事に対するモチベーションがリーマンショックかよというくらい下がり、仕事さえどうでも良いと思うこともあった。
痛みは事実だが、苦しみはオプショナル
ランニングが日課だったので、燃えるような炎天下の夏のある日、いつものように走っていると、ふと普段とは違うコースを走りたくなった。
自然と進行方向を変え、思いのまま走ったことのない道を進んでいった。
河川敷の一方に渡り、途中にある橋を渡り戻ろうかと思っていたが、橋まで着くと通行禁止で渡れない。
その時点で8kmは走っていたので、その橋を渡れないともう+5kmは遠回りしなくてはならない。
思わず「うわ~これは大変だな~」と口に出していたが、ふと学生時代に読んだ本のフレーズを思い出した。
それは「痛みは事実だが、苦しみはオプショナル」というフレーズで、痛みというのは紛れもない事実なんだけど、苦しいと思うかは自分の裁量に委ねられているという意味であり、本の中でもそう言い換えられていた。
その時に、これって今の自分と同じ状況だよなと思い、自然と残りの5kmを完走するために走りだしていた。
確かに喉が渇いてしょうがないし、脚も攣りそうで痛いんだけど、不思議と苦しいとは思わなかった。
家に着くと久しぶりに達成感を感じて、その時に転職しようと決めた。
今すぐにでは無いけど、SEで実績を積んで辞めようとキッパリ決めた。
その次の日に出勤した時には、もう会社で働くことを苦しいとは感じなくなっていた。
自然と前向きになれていた。
変化は損失ではなく、利益となる
前述したランニングを終えて、SEから転職しようと決断できた訳だが、実際に行動できたのは育った家庭環境の影響もある。
私の両親は、親世代にしては珍しく、2人とも転職を2回以上経験しており、そのような家庭環境で育った。
なので親がステップアップしていく様子を幼いながら、見てきた。
そのこともあり、変化は損失ではなく利益であることを無意識ながら分かっていたことが影響しているかもしれない。
そして決断した通りSEから転職し、システム監査人となった。
一歩踏み出せたのだ。
挫折としては決して大きくはないが、自分の内側にある谷底から何とかよじ登れた感覚があって、有益な体験となった。
この体験から1つ明確に言えることは、まず行動しないと変化できないということ。
変化への第一歩を踏み出すためには、「変化は損失ではなく、利益となる」という考えを認識する必要がある。
そして文句は言わずに、行動に移す。
これが最も重要なことだと思う。